まるで心の中にカメラを入れたような没入感。の衝撃作『アドレセンス』は、映像と演技、脚本が三位一体となって“人間のリアル”に迫る
Netflixリジナルドラマ『アドレセンス』を観終えたあと、私の興奮はしばらく止まりませんでした。
画面の中で展開されていたのはフィクションのはずですが、まるで自分自身が登場人物の一人であるかのような錯覚を覚えたのです。それほどまでに映像、演技、脚本のすべてが一体となり、観る者の心を揺さぶってきます。
Netflixドラマ「アドレセンス」とは
「アドレセンス」は、13才のジェイミー・ミラー (オーウェン・クーパー) が同じ学校に通う少女の殺害容疑で逮捕されたことで、家族が崩壊していく様を描く物語。スティーヴン・グレアムが、ジェイミーの取り調べ中も側で立ち会う父親エディ・ミラー役を演じる。アシュリー・ウォルターズは警部ルーク・バスコム、エリン・ドハーティは、ジェイミーを担当する臨床心理士ブリオニー・アリストン役として共演する。
引用:Netflix
1話1カットの長回しに圧倒される
このドラマで印象的だったのが、ワンカットによる長回しの撮影です。路上の車、家庭のリビング、そして警察署へと場所を移しながら、カットを割らずに物語が進んでいきます。
まるでドキュメンタリーのような臨場感を持ちながらも、映画ならではの視点の移動が巧みに織り込まれており、視聴者はまるでその場に「居合わせている」ような感覚に包まれます。
特に一話はすごい。
早朝の自宅から逮捕され、警察で事情聴取されるまでが描かれていますが、混乱する中でも淡々と進む警察の事務処理をこなす描写は、自分や自分の家族が逮捕されたらこんな感じなのかと追体験する感覚をえました。
まさに単なる演出ではなく、もはや“体験”と呼べるレベル没入感です。
鮮度を保ったままの演技力に脱帽
長回しの撮影というのは、技術的に非常に難易度が高いことで知られています。
特に感情の波が激しく上下するドラマにおいては、リハーサルや複数のテイクを重ねるうちに芝居が“段取り臭く”なってしまうことが多々あります。
ですが『アドレセンス』では、そのような“芝居臭さ”を一切感じませんでした。どの瞬間も俳優たちの表情や動きはリアルで自然、常に感情の鮮度を保ったまま演じられていたのです。
映像制作者としても、これは本当にすごいことだと感じました。
主人公の演技がとにかく素晴らしい
主演の青年を演じたオーウェン・クーパー(15)の演技には、何度も息を呑みました。
彼のキャラクターは、特別な才能を持っているわけではなく、どこにでもいるような不器用な青年です。だからこそ、その小さな怒りや迷い、孤独がリアルに胸に迫ってきました。
言葉にできない内面の揺れを、ほんの一瞬の目線や沈黙で表現したり、どこか裏があるのではないかという不思議な違和感を醸し出す技術は見事の一言です。
このナチュラルな芝居を何度もリハを重ねる長回し撮影の中で維持し続けるというのはベテランの俳優でもなかなか難しいものですが、若干15歳の青年がそれをやり切っているのに驚愕します。
脚本の力が強烈に伝わる
脚本もまた、非常に鋭くて印象的でした。
登場人物たちのセリフは一見すると何気ない日常会話のように聞こえますが、その背後には膨大な背景と感情が込められていることが伝わってきます。
たとえば、ジェイミーが放つ「僕はやってない」という一言。
ドラマの冒頭から何度も発生られる言葉ですがその時の状況、対する相手によって意味合いが変化していきます。
ワンカット長回し撮影と脚本との連携の妙ですが、そのために綿密に練られたキャラクター像というのがその根幹を支えています。
説明的にならず、それでいて心に刺さるセリフの数々。これこそが脚本の力なのだと改めて感じました。
父親の葛藤が親として刺さる
本作では、ジェイミーの父親も非常に印象的に描かれています。私自身が親であることも影響しているのかもしれませんが、彼の葛藤には何度も胸を締め付けられました。
子どもを守りたいという思いと、自分の子供のがわからないという思い。その狭間で揺れる父親の姿には、深く共感しました。
「自分ならどうする……」と何度も心の中で呟いていた自分がいました。
撮影と脚本の連携が完璧
撮影と脚本がここまで高いレベルで連携している作品は、なかなかありません。
感情が高まるシーンではカメラが被写体に極端に寄り、人物同士の距離が広がる場面では、物理的な距離感を保った引きの構図にする。このように、カメラがまるでもう一人の語り手のように、物語に深みを加えていくのです。
人間を描くことに全振りした、誠実な作品
最終話を迎えても、彼らの物語はどこか続いているような気がしました。それほどまでに登場人物たちがリアルに描かれていたのです。
人生にはカット割りがありませんし、感情も一瞬では整理されません。『アドレセンス』はその現実を、誰よりも丁寧に、そして熱を持って描いていました。
人間を描くことに全振りした本作は、奇をてらうことなく、派手な事件もありません。ただひたすらに「人の心の機微」に向き合い続けています。
だからこそ、それが何よりもドラマチックで、そして誠実なのだと気づかせてくれるのです。
Netflixに数多くあるオリジナル作品の中で、『アドレセンス』はひときわ異彩を放っています。
そしてその異彩は、間違いなく「本物」でした。
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